和泉蜻蛉玉とは – #03 伝統を継承するということ

伝統を継承するということ

今までブローカー(仲介業者)への卸売が主であった山月工房ですが、「このまま黙っていては伝統が潰えてしまう、自分たちで行動しなければ」と思い、最初はフリーマーケット、その次に有名百貨店のイベント催事に挑戦しました。
お客様と直接やりとりを重ねるうちに確かな手応えと、もっと多くの方に、直接お届けしたいという気持ちが強くなり、どうしたら…と考えていたところ大阪府に伝統工芸品・伝統工芸士という指定制度があることを知りました。

伝統工芸品
大阪府知事指定伝統工芸品マーク

指定のためには「古ぅーくからやってますねん」と言うだけではもちろんダメで、文献により歴史を立証し、提出せねばなりません。
しかしいざ「調べる」とはいえ、今まで誰も調べたこともないことで、何をすれば良いのかも手探りでした。
まずは小溝時春に、さらに先代の、さらに先代の先代の・・・と話を聞きましたが、それよりも古い歴史を調べるとなると難航しました。

図書館・資料館・神社など未調査文献・古文書を見せていただき、その中からひたすらに「蜻蛉玉」という言葉を探ました。

伝統工芸品

伝統工芸品

伝統工芸品

伝統工芸品

得た手がかりから次の古文書を調べ・・・資料を集めて・・・をずーっと繰り返しました。

文献をたどって、明治時代に京都の庄屋さんでうられていた根掛・かんざし(木箱入り・年式入り・屋号入り)も見つかりました。

伝統工芸品

伝統工芸品

すると先代の、先代の、先代の、先代の・・・先代が作った玉が、住吉大社へ奉納されていることも分かりました。

そこからさらにずずずーっと調べていくことで・・・前述したとおり、歴史は奈良時代に辿り着きました。

未調査文献なども含め、ひとつひとつ改めて歴史を紐解き、調査は約8~9年かかりました。

歴史調査時には、歴史・資料館の皆様や とんぼ玉関連の著者の皆様方・歴史文献に残る方のご家族(お孫さん・娘さん)に大変な協力をいただきありがとうございました。
古い文献や実際にその時代の仕事振りを見聞き(伝え聞き)してきた皆様のお話は、現在も山月工房でしっかり活きづいています。

今まで、「長く続いている」という認識はありましたが、改めて調べ「和泉蜻蛉玉の歴史」として整理し見直すことで「伝統を継承する」という、わたしたちの背負っているものの重さを再認識させられました。

山月工房では、これからもこの伝統を守り、そして発展させ続けて参ります。


和泉蜻蛉玉について 和泉蜻蛉玉の歴史 伝統を継承するということ 山月工房の歴史 次の1000年のために