平等院鳳凰堂、国宝復元の話

平等院鳳凰堂、国宝復元の話

先代の想いが繋げてくれた国宝復元

山月工房は平成22年、世界遺産である平等院の阿弥陀如来坐像(国宝)の、瓔珞(ようらく)を復元しました。

平等院鳳凰堂
画像提供:平等院


瓔珞とは、もともとは古代インドの王族の方々が身につけていた装飾具が仏教に取り入れられ、寺院では仏像の周辺に天井などから吊り下げられ、その荘厳さと美しさを表していたそうです。

瓔珞

この国宝復元があったからこそ1000年前の復刻ガラス「千の時」プロジェクトが生まれた、山月工房としても、和泉蜻蛉玉としても大きなターニングポイントであったと思います。

はじまりは突然でした。
デパート展示販売中に、平等院の平成の大修理を5〜6年追跡取材しておられる方がお越しになり、お願いをして行かれました。

聞くところによると平等院の平成の大修理には元々、瓔珞は復元内容になかったそうなのです。
ですが阿弥陀如来坐像の台座を外したところ、約1000年前の瓔珞がバラバラになった状態で見つかったそうで急遽、瓔珞も復元しようということになったようです。

お話をいただいた方は、大昔に先代である父の工房を訪れたことがあったらしく、その時に幼かった私(松田有利子)も見たよ!っと言っておられました。

瓔珞は非常に多種多様な大きさ・色をしていました。
このガラス玉の貴重さを理解し、製作できる人を探して山月工房に来られたのだと思います。
先代であり父の小溝時春は平成16年に永眠しており、墓前への報告となってしまいましたが、父が常々言っていた「どんなに小さな玉でも、お金儲けにならなくても、絶対にちゃんとつくるんだ」と信じてひたすらに続けていたこと、その強い想いが多くの方々へ伝わっていたことが分かり、胸が熱くなりました。

「千の時」復刻プロジェクト
「千の時」復刻プロジェクト
「千の時」復刻プロジェクト
山月工房でつくっている様々な大きさ・形の蜻蛉玉


国宝ガラス

復元を行うと言っても、相手は国宝です。
住職の方の話を聞くと、当時はもちろん電気なんてなく、明かりといえば日光・月光・ロウソクであった時代、青・白・緑の瓔珞が阿弥陀如来坐像の目の前にある池で反射した光やロウソクの灯りを通すことによって極楽浄土の輝きを放っていたのだと伺いました。

色・輝きは当時の方々の想いです。
1000年前の当時の人々の想い、夢に見た極楽浄土の輝きまで再現できるよう、材料や色も留意しなければなりません。
ガラスの材料については、国宝ガラス玉やガラス片を平等院内で東京理科大学教授さんたちのグループが蛍光X線装置で成分分析を行っていました。

山月工房で使用しているガラス材料は、現在販売されていない和泉地方で古くから作られてきた貴重な古い材料でしたので「もしかして」と平等院に持ち込み調べていただいたところ奇跡的に、おおよそですが平等院で見つかった約1000年前の国宝ガラス玉とよく似た成分であることが分かりました。
現代では様々なガラスが生まれていますが、普段私たちが使っていたガラスが1000年前に使われていたものとほぼ同じ成分であるということに驚きました。

「千の時」復刻プロジェクト

そして、山月工房でその古のガラス材料を使い、国宝復元を行うこととなりました。

改めて見ると瓔珞に使用されていた国宝ガラス玉は、おそらくひとつひとつに1000年前当時の職人さんが魂を込めて製作されたのだと思います、画一的なものではなく、非常に多種多様で、美しく個性的、大胆でありながら繊細、なんとも不思議で神秘的なガラス玉でした。

この経験ができたことを誇りに思っています。

瓔珞

青龍弁才天

また、平成23年には、東京の大光明寺にある青龍弁才天 御前立ち像(模刻)宝冠の硝子玉製作にも携わらせていただきました。
これも父の教えのおかげであったと思っています。

青龍弁才天
「青龍弁才天御前立ち像」
仏師:村上 清氏
写真:早川 宏一氏
装飾玉:松田有利子(大阪府伝統工芸士第85号)

千の時

それと同時に、このガラス材料でしか表現できない1000年前から続く人々の想いを途絶えさせてはいけないと思うようになり、「千の時」復刻プロジェクトを始めました。
詳しくは「千の時復刻プロジェクト」のページに続きます。

千の時復刻
プロジェクト