和泉蜻蛉玉の歴史
古くは奈良時代以前よりの歴史。神功皇后が三韓征伐の帰りに高麗より硝子玉の技術者を連れ帰り、浪花朝廷に近い和泉国(現在の堺市)で硝子玉の製作を始めた事より、この地の硝子玉の歴史が始まりました。
江戸時代には、泉州玉・さかとんぼと呼ばれ全国的に有名であったようで、かんざし・玉すだれなどの商品を各地に納めていました。
明治時代始め頃、池上村(和泉市内)の神山喜代松氏が堺市内にて硝子玉の技術を習得し地元(池上村)でその技を公開した事がきっかけで和泉市内ではガラス業が繁栄し広く作られていたそうです。
明治時代始め頃、池上村(和泉市内)の神山喜代松氏が堺市内にて硝子玉の技術を習得し地元(池上村)でその技を公開した事がきっかけで和泉市内ではガラス業が繁栄し広く作られていたそうです。
和泉国から続く伝統の硝子玉は、この地で長く作られ、人に、地域に愛されてきました。
しかし昭和50年代頃より安価な中国製品におされ和泉市内の硝子玉職人は激減し苦しい時代が続きました。
平成に入り気付けば、硝子玉専業者(専業職人)は、山月工房先代、故 小溝時春 只、一人となっていました。
しかし昭和50年代頃より安価な中国製品におされ和泉市内の硝子玉職人は激減し苦しい時代が続きました。
平成に入り気付けば、硝子玉専業者(専業職人)は、山月工房先代、故 小溝時春 只、一人となっていました。